エテリア蜂起(読み)えてりあほうき

世界大百科事典(旧版)内のエテリア蜂起の言及

【イプシランディス】より

…ロシア皇帝の援助を期待した彼は,21年2月モルドバに入り,エテリアの蜂起宣言をおこなった。エテリア蜂起はギリシア人をはじめバルカン諸民族の支持をえたが,皇帝が蜂起を否認するに及んで志気を失い,ワラキアのドラガシャニDrǎgǎşaniでのトルコ軍との会戦ののちトランシルバニアへ逃亡,メッテルニヒによりムンカーチ(現,ムカチェボ)要塞に監禁された。27年ロシア皇帝のはからいで釈放され,翌年ウィーンで死去。…

※「エテリア蜂起」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

新暦の 4月後半から 5月の,梅雨前に日本列島が大きな移動性高気圧に覆われたときの晴天。発現期間は短い。もともとは旧暦 5月が梅雨にあたることから,梅雨の晴れ間の意味で,梅雨晴れ(つゆばれ)とも呼ばれ...

五月晴れの用語解説を読む