世界大百科事典(旧版)内のエピナル版画の言及
【エピナル】より
…10世紀末メッスの司教により建設された修道院や城郭から発展した。目立った産業はないが,エピナル版画Imagerie d’Épinalの産地として名高く,県立美術館には民衆版画国際美術館が併設されている。民衆版画は,16世紀ごろより,パリ,シャルトル,オルレアンなどで盛んとなったが,18世紀の半ばからは,エピナルがもっとも活発な中心地となった。…
【版画】より
…この書物の挿絵としても,また複製版画としても,版画の影響ないし霊感の源泉としての役割は,印刷文化の複数性とその持運びやすさとによって,それ以前とは比べものにならぬ広大な地域に,ときには時代の枠をこえて広がっている。 一般に版画の民衆性は,宗教的なお守札やゲームカード,18~19世紀のエピナル版画Imagerie d’Épinalのような〈民衆版画l’imagerie populaire〉などに顕著に現れているように確かに重要な側面をなし,また壁紙や布地の模様印刷などにも用いられて,大衆の日常生活に浸透している。版画が比較的廉価であることもそれを助長する。…
【木版画】より
…15世紀の木版画がみせた粗雑さと大衆的な廉価性を受け継いで,身近な宗教図像,歴史的事件,時事問題,男女関係などを図式化し,伝説化していった。エピナル版画images d’Épinalは19世紀におけるその一例であった(石版も使われた)。 18世紀末にイギリスのT.ビウィックが木口木版を考案した。…
※「エピナル版画」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」