世界大百科事典(旧版)内のエルサレム基本法の言及
【エルサレム】より
…69年オーストラリア人の放火によるアクサー・モスクの火災はムスリム世界を動揺させ,イスラム諸国会議成立の契機となった。77年エジプト大統領サーダートのエルサレム訪問とアクサー・モスクでの礼拝参加とともに開始されたエジプト・イスラエル間の和平交渉は,80年イスラエル国会によるエルサレム基本法(統一された同市をイスラエルの永久の首都と宣言)の可決へとつながり,これに対抗してサウジアラビアは,81年,エルサレムをパレスティナの首都とする要求を含んだ8項目提案を行うなど,混迷はいっそう深まり,エルサレム問題は,パレスティナ問題の解決をはばむ最も困難な課題として残されている。エルサレムの歴史が暗示する〈聖〉なる性格と〈平和〉ならしめる力とは,依然として人類の危機とそしてまたそれからの出口とを象徴しているともいえよう。…
※「エルサレム基本法」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」