世界大百科事典(旧版)内のキエフ・ルーシの言及
【ウクライナ】より
…ルーシ・ハーン国はボルガ時代(839‐930),ドニエプル時代(930‐1036),キエフ時代(1036‐1169)の3時期に分けられる。そのうちの10~12世紀後半はキエフ・ロシアまたはキエフ・ルーシとも呼ばれる。キエフ・ロシアは,ウクライナ人が以前から住んでいたポレシエと森林ステップ地帯に加えて,〈ワリャーギからギリシアへの道〉と,黒海北岸の一部を領域として統合し支配した。…
【キエフ・ロシア】より
…ロシアの政治,経済,文化の中心がキエフにあったキエフ時代(ほぼ9世紀半ばから13世紀半ばまで)のロシア。キエフ・ルーシ,キエフ国家ともいう。
[国家の成立]
12世紀初めに編さんされたロシア最古の年代記《過ぎし年月の物語》によれば,9世紀半ばには,東スラブ人の有力部族ポリャーニン族がドニエプル川中流域に定住してキエフを中心とする小規模な国をつくっていた。…
【ルーシ】より
…その主要な意見はノルマン人を起源とする〈ノルマン説〉と〈反ノルマン説〉である。ふつう,ルーシとはドニエプル川中流域に形成された9世紀の東スラブ族の最初の国家の名称とされ,12世紀初めまでは,首都キエフの名にちなみ,キエフ・ルーシ(キエフ・ロシア)と呼ばれた。12~13世紀には,古代ルーシの〈地〉とか〈公国〉と呼ばれ,13世紀以降は白ルーシ,小ルーシの名もおこる。…
※「キエフ・ルーシ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」