クトルク・ボイラ(読み)くとるくぼいら

世界大百科事典(旧版)内のクトルク・ボイラの言及

【突厥】より

…しかしビルゲ・ハガン,キョル・テギン兄弟の死後1代おいて即位した登利(テングリTängri)可汗は,唐の玄宗皇帝を天可汗と呼んで,実質的にこれに臣従するなど国勢は衰え,内紛も続いた。こうしたおりにバスミル族,カルルクQarluq族とともに反乱をおこしたウイグル族の長,骨力裴羅(クトルク・ボイラQutlugh Boyla)が744年に可汗を称するにいたって突厥の国家は崩壊した。【梅村 坦】。…

※「クトルク・ボイラ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」