クネズ(読み)くねず

世界大百科事典(旧版)内のクネズの言及

【トランシルバニア】より

…マジャール人移住者の多くは商人と農民であったが,ルーマニア語の町oraş,商品marfǎ等のことばがハンガリー語起源であることからもわかるように,彼らは都市経済を発達させた。しかし社会の封建化に対しては原住民の抵抗もみられ,たとえばブラフ,スラブ人のクネズcnez(軍事,司法,徴税をつかさどる地方の頭目)の制度のように,なおしばらく存続したものもあった。また外敵の防衛と経済発展のために,ハンガリー国王は外国人植民者やセーケイ人を利用しなければならなかった。…

【ブルガール族】より

…これがいわゆる第1次ブルガリア王国で,1018年まで存続する。アスパルフに率いられたブルガール族(ブルガリア史では,彼らをプロト・ブルガリア人と呼んでいる)が,ブルガリアの国家と民族の形成に果たした役割や南スラブ人との相互影響関係については,史料が少なために不明な点も多いが,彼らはやがて圧倒的に数の多い南スラブ人に同化され,国の首長の称号もハーンからスラブ語のクネズknezに変えられた。 第2子コトラーグに率いられた他の一部はボルガ川の上流のカマ川との合流地域へ移住した。…

【ワラキア】より

…またドナウ川南岸地域にも居住し,第二ブルガリア帝国を建てたアセン王朝にはブラフ人の要素が認められ,事実その国王を〈ブルガリア人とブラフ人の支配者〉と呼んでいるローマ教皇グレゴリウス9世の勅書(1237)もある。このようなブラフ人の共同体はブラフ人の法と呼ばれる慣習法をもち,クネズcnezあるいはジュデツjudecと呼ばれる首長に率いられ,さらに共同体連合の軍事的な首長にはボイェボドvoievodがいた。これらの共同体の多くは15~16世紀に強まる領主制支配の拡延によって特権を失い同化されていったが,ブラフ人自身の国家形成に成功したのがワラキアとモルドバだったのである。…

※「クネズ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」