クラヨバ協定(読み)くらよばきょうてぃ

世界大百科事典(旧版)内のクラヨバ協定の言及

【ドブロジャ】より

…18世紀末からドブロジャはいわゆる東方問題の係争地となり,しばしば露土戦争の戦場となったが,そのたびに住民の移動が行われ,複雑な民族構成が地域的特色の一つとなった。1878年ドブロジャの大半はルーマニア王国に編入され,農業地帯として発展しはじめたが,南部(カドリラテルKadrilater地方)をめぐってルーマニア,ブルガリア間に領土問題が生じ,1940年のクラヨバ協定で現在の国境が設定され,その後47年のパリ条約で再確認された。【萩原 直】。…

※「クラヨバ協定」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

4月1日の午前中に、罪のないうそをついて人をかついでも許されるという風習。また、4月1日のこと。あるいは、かつがれた人のこと。四月ばか。万愚節。《季 春》[補説]西洋もしくはインドに始まる風習で、日本...

エープリルフールの用語解説を読む