世界大百科事典(旧版)内のクラヨバ協定の言及
【ドブロジャ】より
…18世紀末からドブロジャはいわゆる東方問題の係争地となり,しばしば露土戦争の戦場となったが,そのたびに住民の移動が行われ,複雑な民族構成が地域的特色の一つとなった。1878年ドブロジャの大半はルーマニア王国に編入され,農業地帯として発展しはじめたが,南部(カドリラテルKadrilater地方)をめぐってルーマニア,ブルガリア間に領土問題が生じ,1940年のクラヨバ協定で現在の国境が設定され,その後47年のパリ条約で再確認された。【萩原 直】。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」