世界大百科事典(旧版)内のクリノリン・スタイルの言及
【クリノリン】より
…大きなクリノリンはしばしば風刺の対象となり,ドーミエやクルックシャンクなど多くの画家たちによってカリカチュア化された。クリノリンの全盛期はフランス第二帝政時代で,ナポレオン3世の皇后ウジェニーは,クリノリン・スタイルがよく似合ったといわれる。1870年代には半球形から楕円形,釣鐘形へと小さくなってゆき,後腰部にふくらみをもたせたバッスル・スタイルへと変化する。…
【スカート】より
…フランス革命は,服装自体も自然の体形に回帰させ,古代ギリシア風の体に沿ってほっそりとした形を尊重したエンパイア・スタイルempire styleを生み出した。しかし,スカートの形は再びふくらみ,19世紀半ばには馬毛入りペティコートで支えられた半球形のクリノリン・スタイルが流行し,ナポレオン第二帝政時代の典型的なモードとなった。以来,スカートは,産業革命後の生活様式の変化,機能的服装への着目などにより,徐々にふくらみが減り,世紀末には,後腰を強調したバッスル・スタイルがあらわれる。…
【ズボン】より
…裾にレース飾りやひだをよせて絞った。まず子どもから着はじめ,次いで女性に広がり,19世紀半ばのクリノリン・スタイルでは,ペティコートの下に着用され外からは見えなかった。後半にブルーマー・スタイルとして現れ,のちにブルーマーズと呼ばれ,下ばきや体操着となった。…
※「クリノリン・スタイル」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」