ゲルマン犂(読み)げるまんすき

世界大百科事典(旧版)内のゲルマン犂の言及

【農業】より

…しかし,本格的な三圃式(三圃制)に移行するためには,三圃式にふさわしい犂と村落構造とが必要であった。 三圃式にふさわしい犂とは,浅耕用のローマ犂とは本質的に異なった深耕用の犂で,ゲルマン犂と呼ばれた。1世紀には,それは,ローマ犂と同じく牛2頭で引かれていたが,やがて馬6頭から12頭で引かれるように大型化し,車輪をもつようになる。…

【農具】より

…三圃制は南ドイツで成立して以来13世紀にかけて北ヨーロッパ全体に広まっていくが,それとともにこの型の犂も広まっていった。そして,北ヨーロッパのかなりの部分を占めるゲルマニア地方(今のドイツ,チェコスロバキア,ポーランド,オーストリアなど)の名をとって,ローマ犂に対してゲルマン犂と呼ばれた。11世紀から13世紀にかけての時期に,この犂は,複数の犂を並べて取り付け,6~12頭の馬で牽引されるような大型のものになり,耕起能力も飛躍的に向上し,開墾が促進された。…

【麦】より

…これが三圃式である。三圃式は,深耕用のゲルマン犂とともに普及していき,13世紀には北ヨーロッパで支配的となる。 その後の北ヨーロッパの農業は,飼料の増産の方向に進んでいった。…

※「ゲルマン犂」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」