コネリー,S.(読み)こねりー

世界大百科事典(旧版)内のコネリー,S.の言及

【ジェームズ・ボンド】より

…このような設定は映画に最適であるためか,《ドクター・ノー》(1958)が1962年に映画化(《007は殺しの番号》)されたのを最初として,《ロシアより愛をこめて》(1957,映画化1963)など,ほとんどの作品が映画になっている。初代のボンド役はショーン・コネリーで,作品ごとに性的魅力あふれる若い女優(いわゆるボンド・ガール)が相手をつとめた。後にロジャー・ムーアもボンド役を引き受け,作者フレミングが64年に死んだ後も,他人が書いたボンド冒険物語が次々に映画化され,パロディ,漫画も登場,ボンドはターザンのような民衆のヒーローとなった。…

【〈007〉シリーズ】より

…製作はハリー・サルツマンとアルバート・ブロッコリによるものが,1983年までに13作(1977年の第10作《007/私を愛したスパイ》以降はブロッコリの単独製作)を数え,ジョン・バリーのテーマ音楽,モーリス・バインダーの官能的なタイトル・デザイン(第2作と第3作はロバート・ブラウンジョンとトレバー・ボンド)も名物となった。ボンド役は,第1~第5作および第7作がショーン・コネリー,第6作《女王陛下の007》(1969)のみジョージ・レーゼンビー,第8作《007/死ぬのは奴らだ》(1973)以降がロジャー・ムーアとなる。第4作《007/サンダーボール作戦》(1965)あたりからSF色が濃くなり,第8作からパロディ,楽屋落ちが目だちはじめ,ボンドのヒーロー性は薄れてきた。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」