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コミンフォルム批判 コミンフォルムひはん

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大辞林 第三版の解説

コミンフォルムひはん【コミンフォルム批判】

1950年(昭和25)1月、コミンフォルムが機関誌で日本共産党を批判した事件。

出典|三省堂
大辞林 第三版について | 情報

世界大百科事典内のコミンフォルム批判の言及

【学生運動】より

…その根底には,学生を青年あるいは労働者の一部ととらえ,学生運動は階級闘争でなくその条件づくりと位置づける共産党中央と,学生運動は革命を推進する労働者階級の先駆であり同盟軍であるとする全学連中央との見解の対立があった。さらに,米軍占領下においても人民政権の樹立が可能であるとする,いわゆるコミンフォルム批判によって共産党内に分裂が起こり,この批判をなしくずし的に受け入れた共産党主流派に反発する国際派の全学連中央執行部の大部分が除名・追放され,全学連は壊滅的な機能麻痺状態に陥る。そして新発足した共産党指導部に追随する全学連執行部は,共産党の武装闘争方針に従い,52年5月1日の皇居前広場での血のメーデー事件や交番襲撃,火炎びん闘争などを展開する一方で,山村工作隊などで農村の地下活動に入り,軍事訓練のかたわら地主や警察権力との武力闘争を行った。…

【日本共産党】より

…敗戦時の食糧難のなかで急速に発展した労働運動の面では産別会議を指導下におき,また46年1月の野坂の帰国を機に盛り上がった民主人民戦線運動によって大衆的影響力も拡大し,46年4月の戦後初の総選挙で5名の当選者を出し,49年1月の選挙では35名を当選させた。しかし,冷戦による占領政策の転換による共産党弾圧(レッドパージ),労働運動に対する政治的押しつけへの反発,50年1月のコミンフォルムによる民族闘争を軽視した平和革命方式への批判(コミンフォルム批判)とそれを契機とする党の分裂・抗争により弱体化し,加えて徳田派が51年10月の第5回全国協議会で武力革命を方針とする〈新綱領〉を採択し,それに基づいて中国革命にならった山村工作隊や火炎瓶闘争などの軍事方針を実施したため,52年の総選挙で前回の得票数298万票から89万票(議席はゼロ)に激減したことに示されるように,国民大衆の支持を失うに至った。 講和発効後の1955年7月の第6回全国協議会(六全協)は,武装闘争を放棄し党の統一を回復した。…

※「コミンフォルム批判」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
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