ゴットシャルク(読み)ごっとしゃるく

世界大百科事典(旧版)内のゴットシャルクの言及

【エリウゲナ】より

…アイルランドに生まれ,845年ころパリに来て,その才能を買ったカール2世(禿頭王)の宮廷学校で教えた。フルダの修道士だったゴットシャルクGottschalkの二重預定説を批判し,人間は救いに預定されているが罪に預定されてはいないと説いたため,西方教会の伝統と対立して異端とされた。その後ギリシア教父に学び,当時西方には知られていなかった新プラトン主義を中世に伝える役をはたした。…

【キリスト教文学】より

… カールの朝廷に集まった多くの文人中,詩人として名高いのは復活祭前主日の賛歌《栄えと称賛,誉れとを享(う)けたまえ,あがない主キリストよ》などの作者オルレアンのテオドゥルフTheodulf(750ころ‐821ころ)やアンギルベルトAngilbert(745ころ‐814)らであるが,《ランゴバルド史》の作者パウルス・ディアコヌスPaulus Diaconus(720ころ‐797ころ)にも《大教皇グレゴリウス伝》や,8音階の源となった《バプテスマのヨハネへの賛歌》などの詩がある。アルクインの流れは多くのすぐれた宗教詩人を生み,中でもフルダ修道院によったラバヌス・マウルスやゴットシャルク,ワラフリド・ストラボWalahfrid Strabo(808か809‐849)は,それぞれ敬虔な,あるいは哀切な,また優雅な賛歌の作者として知られる。ほぼ同代に詩人セドゥリウス・スコトゥスSedulius Scotus(9世紀半ば),エリウゲナがあり,後者は多くの思弁哲学や神学の著述で中世学界に重きをなした。…

【ヒンクマール】より

…フランス王の塗油戴冠における〈ランスの特権〉も彼が主張したものである。彼はまた教義上,ゴットシャルクGottschalk(803ころ‐869)の預定救霊説や三位一体に関する論説を異端と断じた。《サン・ベルタン年代記》の861‐882年の項は,彼の記述である。…

※「ゴットシャルク」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」