世界大百科事典(旧版)内のシャハ王朝の言及
【グルカ】より
…正しくはゴルカGorkhā。現シャハ王朝の別名でもある。17~18世紀ころ西ネパールには〈22王国〉〈24王国〉と総称される数十の小王国が群立していたが,グルカ勢力は比較的遅く興り,カトマンズの西約80kmの町ゴルカを中心として急速に東西に力を伸ばした。…
【ネパール】より
…これらの小勢力中から頭角を現したのがプリトゥビ・ナラヤン・シャハ王Prithvī Nārāyaṇ Śāhに率いられたグルカ(ゴルカ)勢力である。この勢力は1768∥69年にカトマンズを征服し,今日に至るまで続くシャハ王朝(ゴルカ王朝)を建てた。それ以降も拡大は続けられ,一時その版図は西は現インド領のクマオン,ガルワール,東はシッキムに及んだ。…
【ネパール語】より
…ネパール王国の国語。インド・ヨーロッパ語族のインド語派に属する。ネパールの全人口1800万の半数強の人々の母語,他の大多数の人々の第二言語であるほか,シッキムやブータン南部でも広く通用する。ネパール語がネパールの国語となったのは,シャハŚāh王朝による18世紀の国家統一以降であるが,それ以前にも,チベット・ビルマ語系の諸言語を母語とする人々が多く居住するカトマンズや東ネパールに浸透していた形跡がある。…
【マガル】より
…ネパール中央部から西部にかけての標高1200~2500mの山地付近を故地とする人々。人口約29万(1971年の言語人口。実人口より少ないと思われる)。現在ではチベット・ビルマ語派系のマガル語を忘れ,ネパール語を使う人が多い。まわりに耕地,牧場をもつ集村に住み,トウモロコシ,シコクビエ,小麦,水稲(低部で)などを作り,牛,ヤギ,羊などを飼う。イギリス軍,インド軍の傭兵(いわゆるグルカ兵),ネパール国軍人になる人も多い。…
※「シャハ王朝」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」