世界大百科事典(旧版)内のシャルル[3世]の言及
【カロリング朝】より
…彼らは河川をさかのぼり,中州に陣をしき,たちまち舟を馬に乗りかえ,特に教会や修道院の財宝をねらった。そのため,修道士は聖遺物をたずさえて逃げまどい,王国そのもののよって立つ秩序は決定的に失われ,ついにシャルル3世単純王は,サン・クレール・シュル・エプトSaint‐Clair‐sur‐Epte条約(911)により,ノルマン人にルーアン付近への定住を認めた。 フランク王国そのものは,カール3世(皇帝在位881‐887)のとき一時統合されるが,この皇帝はノルマン人対策に失敗した。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」