スフヤーン家(読み)すふやーんけ

世界大百科事典(旧版)内のスフヤーン家の言及

【ウマイヤ朝】より

…ウマイヤ家のムアーウィヤ1世がダマスクスを首都として建設したイスラム王朝(図)。661‐750年。14代のカリフのすべてがウマイヤ家出身者(最初の3代はスフヤーンSufyān家,以後の11代はマルワーン家)であったのでこの名がある。同朝はアラブの征服によって成立し,その政策はイスラム社会の国家的統一の護持とイスラムの政治的領域の拡大を目標とし,結果としてアラブの異民族支配と,彼らの排他的特権が許容されていた。…

【マルワーン家】より

… 子のアブド・アルマリク‘Abd al‐Malik(在位685‐705)は第5代カリフとして父の事業を継承し,第2次内乱を終結させウマイヤ朝存亡の危機を救った。第8代のウマル2世と第14代のマルワーン2世を除くと,すべてアブド・アルマリクの子孫がカリフ位を継承したが,その2者ともマルワーンの子孫であるので,マルワーン以後のウマイヤ朝をスフヤーン家出身の前3代と対照的にマルワーン朝と呼んでさしつかえない。ワリード1世以後,マルワーン家の者同士がカリフ位を巡って敵対し,同家の団結力が衰え,これがウマイヤ朝滅亡の一因となった。…

※「スフヤーン家」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」