スロバキア人民党(読み)すろばきあじんみんとう

世界大百科事典(旧版)内のスロバキア人民党の言及

【スロバキア】より

…その後もスロバキア民族運動はマルティンを拠点として維持されていたが,世紀末ころにチェコ人哲学者T.G.マサリクの思想に啓発されたグループ(フラスHlas派)が形成され,チェコ人との文化的連帯運動を促進した。1905年にはカトリック神父フリンカに率いられたスロバキア人民党運動も形成された(スロバキア人民党Slovenská l'udová stranaとしての正式創設は1918年)。
[チェコスロバキア国家の形成]
 第1次大戦が勃発するとスロバキア民族運動は消極的待機策をとったが,在外スロバキア人の間でチェコ人との共同国家案が浮上し,1915年10月にアメリカのクリーブランドで協定が結ばれた。…

※「スロバキア人民党」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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