ダイレクト・シネマ(読み)だいれくとしねま

世界大百科事典(旧版)内のダイレクト・シネマの言及

【シネマ・ベリテ】より

… シネマ・ベリテは,新しいドキュメンタリー映画の方法=運動として,ジャン・ルーシュの映画のカメラマンをつとめたカナダ人のミシェル・ブローを通じてカナダにも広がっていく。また,アメリカではリチャード・リーコックとロバート・ドルーによる〈リビング・シネマ〉から,D.A.ペネベーカーやデビッド・メースルズ,アルバート・メースルズ兄弟らに至る〈ダイレクト・シネマ〉の動きがあり,こうした〈カメラをもつ男〉たちによる現実肉迫のドキュメンタリー映画全般をひっくるめてシネマ・ベリテと呼ぶようになっている。その意味では,これは《三里塚》シリーズ(1968‐73),《にっぽん国古屋敷村》(1983)の小川紳介,《パルチザン前史》(1969),《水俣》シリーズ(1971‐82)の土本典昭の方法にもつながるものともいえよう。…

【ドキュメンタリー映画】より


[戦後のドキュメンタリー]
 戦中から戦後にかけての一つの特色ある映画現象は,〈ドキュメンタリー〉と〈劇映画〉が接近して交錯し,たとえばアメリカでは〈セミ・ドキュメンタリー(映画)〉と呼ばれる一群の作品が,また,ソビエトではマルク・ドンスコイ監督《戦火の大地》(1943)やレオ・アルンシタム監督《ゾーヤ》(1944)からフリードリヒ・エルムレル監督《大いなる転換》(1945)をへて,イーゴリ・サフチェンコ監督《第三の襲撃》(1948),ウラジーミル・ペトロフ監督《スターリングラードの戦い》(1949),ミハイル・チアウレリ監督《ベルリン陥落》(1950)に至って〈ドキュメンタリー・ドラマ映画〉と呼ばれた作品群が,また,イタリアでは〈ネオレアリズモ〉と呼ばれる傾向の作品がつくられたことである。このドキュメンタリーの手法による劇映画の傾向は,その後も各国で多様化しつつ進展し,ポーランドではアンジェイ・ムンク,イェジー・カワレロビッチ,アンジェイ・ワイダらの〈ポーランド派〉(ポーランド映画),イギリスではトニー・リチャードソン,カレル・ライス,リンゼー・アンダーソンらの〈フリー・シネマ〉,フランスではジャン・ルーシュ,クリス・マルケルらの〈シネマ・ベリテ〉,あるいはまたジャン・リュック・ゴダール,フランソワ・トリュフォーらの〈ヌーベル・バーグ〉,アメリカではライオネル・ロゴーシン,アルバート・メイスルズ,リチャード・リーコックらの〈ダイレクト・シネマ〉が生まれ,その後の各国の映画に大きな影響をあたえることとなった。 現在では,世界の各国で文化的・政治的・経済的事情に従って多種多様につくられている〈ドキュメンタリー〉の大部分はテレビジョンに吸収され,〈テレビ・ドキュメンタリー〉として新しい〈マス・メディア〉,映像による〈世論〉や〈ルポルタージュ〉に転換しつつある。…

※「ダイレクト・シネマ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」