ダビドフ,G.I.(読み)だびどふ

世界大百科事典(旧版)内のダビドフ,G.I.の言及

【アイヌ語】より

…この《もしほ草》の刊行を助けたのが最上徳内で,彼みずからもアイヌ語を身につけており,オランダのライデン大学図書館には,徳内とシーボルト共編の《蝦夷嶋言語Yezogasima Kotoba》(写本)が所蔵されている。国外ではロシアの海軍士官ダビドフGavriil I.Davydov(1784‐1809)編の《樺太アイヌ語彙》(未刊)が古い。この編者ダビドフは,日本では,1807年にフボストフと共にロシア船で択捉(えとろふ),利尻両島を襲った狼藉者として知られる人物である。…

【千島列島】より

…翌99年東蝦夷地とともに千島を幕府直轄領とし,1800年高田屋嘉兵衛に命じて択捉島に漁場を開かせるとともに,同島に郷村制を実施してアイヌの同化策を進めた。 同地は21年(文政4)再度松前藩領となったが,この間,1807年(文化4)フボストフNikolai KhvostovやダビドフGavriil I.Davydovらの択捉島攻撃,11年千島海域の測量に来たゴロブニンの捕縛と翌年のリコルドPyotr I.Rikordによる高田屋嘉兵衛の連行など,千島を介して日本と交易関係を結ぼうとするロシアとの間にしばしば紛争が生じた。55年2月7日(安政1年12月21日)の日露和親条約によって両国の国境は,択捉・ウルップ両島間の水道に定められ,樺太・千島交換条約により千島全島が日本領となった。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」