世界大百科事典(旧版)内のドイツ国法学の言及
【政府】より
…ドイツや日本では,君主大権のもとで,官僚的行政機構(官僚制)中心の国家形成が上から進められ,議会はむしろ,政府=行政府と対立するものと観念された。これを基礎づけたドイツ国法学は,政府を立法機関から独立した〈指導の国家的・法律的形式〉(H.ケルゼン)に限定することにより立憲主義,自由主義の理念と官僚主義的行政国家の妥協をはかったのであった。 20世紀の大衆民主制の発展と政党政治の普遍化は,政府概念に新たな意味を付与することになった。…
【法制史】より
…ゲルマニステンはまた,官僚制による近代化(ロマニステン)に対抗する自由主義の立場から〈ゲルマン的自由〉,ゲルマン的な〈ゲノッセンシャフト〉の原理を強調し,これを基礎づけるためのドイツ法制史ないし国制史の研究を展開した。 これに対し,1860年代後半以降プロイセンを中心とするドイツ統一が実現されていったことを前提として,立憲君主制に照応する体系的なドイツ国法学(ゲルバー,ラーバントら。パンデクテン法学の方法を移植した実証主義的国法学)が成立するとともに,そこにおける国家と社会,公法と私法の区別,主権,臣民団体,完結的な国家領域といった概念範疇を用いて,前近代社会にも君主制原理に基づく〈国家〉が存在していたことを論証しようとする――きわめて法律学的juristischな――国制史研究(中世国家論)が台頭した。…
※「ドイツ国法学」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」