ドニプロ(読み)どにぷろ(英語表記)Днiпро/Dnipro

デジタル大辞泉 「ドニプロ」の意味・読み・例文・類語

ドニプロ(Dnipro/Дніпро)

ウクライナ東部、ドニプロペトロウシク州の都市。同州の州都で、国内有数の重工業都市として知られる。ロシア帝国時代の18世紀、ドニプロ川沿いに築かれた要塞に起源し、ポチョムキン宮殿、プレオブラジェンスキー聖堂などの歴史的建造物が残る。人口、行政区102万、都市圏102万(2008)。
[補説]ロシア帝国時代はエカチェリーナ2世にちなみエカチェリノスラーフと称された。1926年ドニエプロペトロフスク改称。ソ連解体による独立後はウクライナ語に改めドニプロペトロウシクとなり、2016年より現名称。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ドニプロ」の意味・わかりやすい解説

ドニプロ
どにぷろ
Днiпро/Dnipro

ウクライナのドニプロペトロウスク州の州都で、ウクライナ屈指の重工業都市。旧称エカチェリノスラーフЕкатеринослав/Ekaterinoslav(~1796、1802~1926)、ノボロシースクНовороссийск/Novorossiysk(1796~1802)、ドニエプロペトロフスクДнепропетровск/Dnepropetrovsk(1926~1991)、ドニプロペトロウスクДнiпропетровськ/Dnipropetrovs'k(1991~2016)。エカチェリノスラーフは女帝エカチェリーナ2世にちなむ。ドニエプロペトロフスクは政治家G・I・ペトロフスキー(1878―1958)を記念したもの。人口106万5000(2001)、99万0381(2018推計)。1783年ドニプロ(ドニエプル)川を見下ろす高台に要塞(ようさい)として創設され、いまも市街の中心はここにある。左岸の低地を含めて市域は川沿いに長さ15キロメートル、幅5キロメートルにわたる。右岸に河港があり、川沿いに重工業地帯がある。製鋼機械組立て、化学などの工業が発達し、ペトロフスキー記念製鉄所、コミンテルン記念製鉄所、ドニエプロペトロフスク・タービン工場などの大工場があり、ほかに製鋼用機械、コンバインタイヤコークス、大型プレス機械の工場もある。総合大学が置かれ、工業技術の研究・教育施設も多い。18世紀末建築のポチョムキン宮殿(現在学生会館として使用)、プレオブラジェンスキー聖堂などの歴史的建造物が残る。1983~1984年、地下鉄運行が開始された。

渡辺一夫・上野俊彦]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ドニプロ」の意味・わかりやすい解説

ドニプロ
Dnipro

ウクライナ中東部,ドニプロペトロウシク州の州都。1783~96年,1802~1926年エカテリノスラフ Ekaterinoslav,1796~1802年ノボロシースク Novorosiysk,1926~2016年ドニプロペトロウシク Dnipropetrovsk(ロシア語名ドネプロペトロフスク Dniepropetrovsk)。ドニプロ川(ドネプル川)中流部,サマーラ川流入点近くに位置する。エカテリーナ2世治下のウクライナの新都市として 1783年に建設。1880年代に鉄道が建設され,モスクワ,ドンバス(ドネツ炭田),オデーサ(オデッサ)などと結ばれてから工業化が進み,人口が急増した。1920年代以降,近くのクリビーイリーフ(クリボイログ)の鉄鉱石,ニーコポリのマンガン鉱,ドンバスの石炭,ドニプロ川の水力発電などを利用し,製鉄業をはじめとする重工業が発展した。1970年代に隣接するイフレン(イグレン),プリドニプロウシク(プリドネプロフスク)を吸収合併した。鋼管,機械類(冶金,農業,製紙,車両,プレス)などを製造する。また石炭化学製品,プラスチック,タイヤ,塗料,セメント,鉄筋コンクリート,製紙,食品,製靴などの工場もある。鉱山,農業,化学技術,冶金,医学などの大学がある。鉄道分岐点で空港もある。人口 98万948(2021推計)。

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