ナルバの会戦(読み)なるばのかいせん

世界大百科事典(旧版)内のナルバの会戦の言及

【ナルバ】より

…13世紀にフィンランド湾岸に建設されたこの町は,その後リボニア騎士団(1347‐1558),ロシア(1558‐81),スウェーデン(1581‐1704)とその〈支配者〉は変わったが,北方戦争の過程で最終的にロシアへ編入された。バルト海への出口を求めて,1700年にスウェーデンに宣戦したロシア皇帝ピョートル1世の軍隊は,11月ナルバの要塞で敗北を喫した(ナルバの会戦)。だがスウェーデン軍の主力がポーランド,ザクセンへ侵攻する間に,ロシア軍は1704年,ナルバを占拠した。…

【北方戦争】より

…これに対して領土の奪還をねらうロシア,デンマーク,ザクセンとの間に,1699年北方同盟が結ばれた。とくにロシアのピョートル1世は,バルト海への出口を求めて,1700年スウェーデンに宣戦したが,11月にはフィンランド湾の要塞ナルバで敗北を喫した(ナルバの会戦)。スウェーデンのカール12世は,その後ポーランド,ザクセンへ侵攻し,ポーランド王兼ザクセン選帝侯アウグスト2世の退位とスタニスワフ・レシチンスキの即位を要求し,これを認めさせた。…

※「ナルバの会戦」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」