ニキアスの和約(読み)にきあすのわやく

世界大百科事典(旧版)内のニキアスの和約の言及

【ニキアス】より

…古代アテナイの軍人,政治家。鉱山奴隷1000名を賃貸して商工業経営に関与するなど,ペリクレス以後に台頭した新しいタイプの政治家の一人。前427年将軍に選出されてメガラ領ミノア島を占領,翌年聖島デロスの清めを行った。前425年スパルタ軍をピュロス湾内のスファクテリア島に包囲したが,勝利を決定できないまま政敵クレオンの痛烈な批判を許し,彼に指揮権を譲って名を成さしめた。クレオンの死後,前421年にスパルタとの間に五十年和約(いわゆる〈ニキアスの平和〉)を締結したのもつかのま,アルキビアデス一派の西方拡大政策に引きずられて前415年,不本意ながら将軍の一人としてシチリア遠征に参加した。…

【ペロポネソス戦争】より

…前422年,クレオンはトラキアに遠征して戦死し,翌421年,アテナイ,スパルタ双方の間で講和が成立する。この〈ニキアスの和約〉は,しかしながら戦火を完全に鎮静させるにいたらなかった。新たな主戦論者アルキビアデスの台頭により,アテナイ民会の戦局判断が左右されたからである。…

※「ニキアスの和約」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」