ニザール派(読み)にざーるは

世界大百科事典(旧版)内のニザール派の言及

【アーガー・ハーン】より

…1818年以降ニザール派イマームによって用いられている称号。元来はイランのカージャール朝宮廷の名誉称号。…

【アサッシン】より

イスマーイール派の一派ニザール派に対して,おもにヨーロッパ人が用いた異称。同派に対して他のイスラム教徒が使った,アラビア語による侮蔑の一般的表現ハシーシーン(〈大麻野郎〉の意)に由来すると考えられ,12~13世紀にシリアのニザール派と接触した十字軍将士を介してヨーロッパに伝えられた。…

【イスマーイール派】より

…第9代カリフ,ムスターリーを支持した派は主流としてムスターリー派と呼ばれ,12世紀後半の同朝の滅亡後も存続し,その末流はボホラ派としてインド,ミャンマー,東アフリカに現存する。一方,第8代カリフにイマームとして任命されたが,後に廃されたニザールNizār(?‐1096)を支持する派はニザール派と呼ばれ,ハサン・サッバーフによってイラン,シリアで勢力を拡大し,13世紀半ばモンゴル軍に滅ぼされた。同派の子孫はホジャ派としておもにインド,パキスタンで商人として活躍している。…

【ハサン・サッバーフ】より

…イランのニザール派の初代ダーイー(宣伝者,布教者)で,いわゆるアサッシン教団の創始者。コムに生まれ,レイに学ぶ。…

【ファーティマ朝】より

…しかしアフダルの時代には,十字軍がシリア・パレスティナに侵入し,ファーティマ朝の領域はエジプトだけになってしまった。ムスタンシルの死後,継承問題が起こり,廃嫡されたニザールを支持する人々は,ファーティマ朝を離れニザール派となった。この後のファーティマ朝は宮廷内の権力闘争と軍閥の抗争に終始し,ますます弱体化した。…

【フィダーイー】より

…〈宗教・政治的目的のために一身を犠牲にして戦う者〉を意味するアラビア語。アラムートを本拠としたイスマーイール派のニザール派において,主命により一身を賭して同派の宗教・政治上の敵を暗殺した者を指した。フィダーイーによりセルジューク朝の宰相ニザーム・アルムルクをはじめ多くの名士たちが暗殺された。…

※「ニザール派」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」