世界大百科事典(旧版)内のバクー・コミューンの言及
【アゼルバイジャン】より
…臨時政府が置いたザカフカス特別委員会は無力であった。当初はメンシェビキ,エス・エル党等がバクー・ソビエトを主導していたが,バクー労働者の団体協約闘争の展開の中で,しだいにボリシェビキが勢力を伸ばし,18年の3月事件(ムサーワートとの武力衝突)を機に,4月ソビエト権力の樹立を宣言し,シャウミャンStepan G.Shaumyan(1878‐1918)を議長とするボリシェビキと左翼エス・エル党連立のバクー県人民委員会議,いわゆる〈バクー・コミューン〉が成立した。一方,首都ペトログラードの十月革命に対して,ムサーワート,グルジア・メンシェビキ,アルメニアのダシナクツチュン党等の民族主義諸派は,17年11月ティフリスでザカフカス委員部を形成し,18年4月にはザカフカス連邦共和国の独立を宣言した。…
※「バクー・コミューン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」