バフリー・マムルーク(読み)ばふりーまむるーく

世界大百科事典(旧版)内のバフリー・マムルークの言及

【サーリフ】より

…カーミル(在位1218‐38)没後の混乱期にスルタンとなり,自ら購入したトルコ人奴隷兵(マムルーク)を用いて帝国の再統一に実績をあげた。治世中に多くの建設事業を手がけ,ナイル川(バフル)のローダ島にも奴隷軍団の兵舎を築いたが,バフリー・マムルークの呼称はこのことに由来する。なお,その後宮(ハレム)には,後にマムルーク朝の初代君主となるシャジャル・アッドゥッルがいた。…

【シャジャル・アッドゥッル】より

…第7回十字軍がエジプトを襲ってデルタ地帯を南下中に夫が死去するが,これを隠して国難を救う。義理の息子の第8代スルタンが父の私兵たち(バフリー・マムルークとよばれる奴隷軍団)によって殺害されると,彼らに推挙されてスルタンとなり,エジプトの地を統治(80日間)する。女性であるためバグダードのカリフの叙任許可を得られず自ら退位するが,次のマムルーク朝スルタン,アイバクとの結婚を通じて国政に陰の力を振るう。…

※「バフリー・マムルーク」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」