世界大百科事典(旧版)内のヒュポゲウムの言及
【エトルリア美術】より
…またタルクイニアを中心とする墓は,壁画によって装飾され,宴会,競技,踊り,鳥占い,釣りなどを主題とする現世肯定の明るくおおらかな絵画であった(牝牛の墓,鳥占い師の墓など)。これらの墓はヒュポゲウム(地下石室墓)式であり,生前の住宅室内の空間を模したものもある。前6世紀末から前5世紀初頭はギリシアのアッティカ地方の美術が大きな影響力を有していた。…
【カタコンベ】より
…本来ローマ郊外の聖セバスティアヌスの地下墓所を指した〈アド・カタクンバスad catacumbas〉(〈くぼ地のそば〉の意)に由来する言葉である。古代ローマの埋葬形式は2世紀前半に火葬から土葬形式に移り,地上の墓地のほかに,小規模の地下墓室であるヒュポゲウムhypogeumや,地下に広範囲に通廊で連結した墓室をもつカタコンベ形式の墓所があった。キリスト教徒もこの伝統に従って,2世紀後半から7世紀ころまで地下墓室を使用し,発展させた。…
※「ヒュポゲウム」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」