世界大百科事典(旧版)内のフェリペ[1世]の言及
【マクシミリアン[1世]】より
…イタリアにおける覇権をめぐってもフランスと対立し,北イタリアの諸都市や教皇庁,さらにスペインとの間に複雑な同盟・対立関係を続けた。その間95年のベネチア同盟は,強大なフランス王シャルル8世に対抗する教皇庁,マクシミリアン1世,ミラノなどにスペインをも加えた大同盟であったが,ハプスブルク家とスペイン王家との間では,当時の外交慣行に従って,マクシミリアン1世の息子フィリップ(のちのカスティリャ王フェリペ1世)と息女マルガレーテをそれぞれスペインの王女および王子と結婚させるというかたちの同盟が成立した。このことは,ハプスブルク家がスペイン国王ともなる(フィリップの息子カルロス1世=皇帝カール5世)という世界史的にも重大な結果をもたらす基となった。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」