フリードリヒ・ウィルヘルム運河(読み)ふりーどりひうぃるへるむうんが

世界大百科事典(旧版)内のフリードリヒ・ウィルヘルム運河の言及

【運河】より

…18世紀にも建設は活発に進められ,革命前にすでに延べ1000kmに達した。ドイツ,とくにプロイセン王国においては,1668年にシュプレー川とオーデル川を結ぶフリードリヒ・ウィルヘルム運河が,さらに18世紀には首都ベルリンを中心とし,エルベ,オーデルの二大河川の間に運河網が形成され,それはドイツ内陸地方を北海およびバルト海に結びつける重要な役割をになった。19世紀半ばにはフランスではライン・ローヌ,マルヌ・ライン,エーヌ・マルヌなどのそれぞれの川を結ぶ大運河が建設され,低地諸国,とくにオランダでは1824年に北オランダ運河が開通し,さらに76年には北海運河が完成したが,それはアムステルダムの貿易に著しく貢献した。…

※「フリードリヒ・ウィルヘルム運河」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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