世界大百科事典(旧版)内のブラッチャンティの言及
【シチリア王国】より
…16世紀のシチリアはなお西地中海の穀倉であり,そのほか絹,砂糖,ブドウ酒,皮革などを輸出し,手工業製品を輸入していたが,貿易はジェノバ,フィレンツェ,カタルニャなどの外国商人が支配していた。〈ラティフォンド〉と呼ばれる大土地所有の発展は日雇農業労働者〈ブラッチャンティ〉の大群を生み出す反面,自営農民の成長を阻み,これが経済を停滞させる結果になった。17世紀には都市下層民の反税暴動が頻発している。…
【フェデルテラ】より
…フェデルテラの闘争のやり方としては,賃上げや労働時間の短縮といった要求のほか,〈職業斡旋所〉の設置と運営,地主や農業経営者に対して一定数の農業労働者の雇用を義務づけることを要求していく運動,グループを単位として借地契約を行う〈集団借地〉の実施などの新しいタイプの闘争方法があげられる。農村で働く幅広い階層に門戸は開かれていたが,その主力はブラッチャンティと呼ばれる日雇農業労働者であり,地域的にはそうした階層が集中的に存在していたポー川流域の平野部が終始中心的な地盤であった。というのも,〈土地の社会化〉というスローガンが,土地所有を渇望する中小農民にとっては容易に受け入れがたかったからである。…
【プーリア[州]】より
…その後ビザンティン支配,ノルマン人の征服と続き,ナポリ王国下で封建制が強化され,経済的に衰退していった。イタリア統一後は,低い生産水準の農業に従事するブラッチャンティと呼ばれる日雇労働者たちの海外移民を多く出した。【萩原 愛一】。…
※「ブラッチャンティ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」