世界大百科事典(旧版)内のベルビル綱領の言及
【ガンベッタ】より
…第二帝政末の1868年,ボーダン事件で逮捕されたドレクリューズの弁護士として,法廷で第二帝政を激しく糾弾して一躍有名になった。翌年の議会選挙にパリの労働者居住街区として知られたベルビルから立候補,このとき選挙民の要求に従って提出した〈ベルビル綱領〉は,急進共和派の路線を示したものとして知られている。70年,スダンにおけるナポレオン3世のプロイセン軍への降伏の報に接するや,パリに樹立された国防政府の内相となり,プロイセン軍への徹底抗戦を主張,包囲されたパリを気球で脱出してトゥールにおもむき,戦争指導にあたった。…
※「ベルビル綱領」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」