ペニー・アーケード(読み)ぺにーあーけーど

世界大百科事典(旧版)内のペニー・アーケードの言及

【映画】より

…ポール・ローサの《今日までの映画》(1930)によれば,〈この惨事はヨーロッパ中の人々に打撃を与え,この恐ろしい悪魔の装置が大衆娯楽を生み出すものとしてうけいれられるまでにはその後数年を要した〉という。その間にアメリカでは大スクリーンの〈映画〉が各地のボードビル・ハウスやペニー・アーケードと呼ばれた娯楽街で人気を呼び,また1902年にはロサンゼルスとシカゴの大通りに〈婦人および児童のための〉健全娯楽場としての映画常設館〈エレクトリック・シアター〉もできた。05年にはニッケルオデオンと呼ばれる映画館(5セントのニッケル硬貨1枚で入場できたので〈5セント劇場〉とも呼ばれた)が,ピッツバーグから誕生して各地に広がった。…

【大列車強盗】より

…《映画がつくったアメリカ》(1975)の著者ロバート・スクラーのことばを借りれば,〈それまでにいったい誰が,疾走する列車上における山賊と列車乗務員との戦いを至近距離から,しかも安全に目撃しただろうか? 罪のない乗客がおかしな振舞をしたからといって冷酷に射殺されるのを,誰が眺めえただろうか?〉〈1903年の観客たちにとって,その映画は新しい世界と出会う驚くべき方法だったのである〉ということになる。当時のアメリカでは,映画は〈ペニー・アーケード〉と呼ばれる娯楽センターの片隅で上映される見世物であったが,《大列車強盗》の人気が興行者に自信を与え,〈ニッケルオデオンnickelodeon(5セント劇場)〉と呼ばれた常設映画館の大量発生をうながすことになった。〈ニッケルオデオン〉の名まえの始まりとなったペンシルベニア州マッキースポートの映画館が,1905年に開館したときのオープニング番組にも,《大列車強盗》は組まれていたといわれ,D.W.グリフィス監督の《国民の創生》(1915)が現れる以前のアメリカ映画の最大のヒット作であった。…

※「ペニー・アーケード」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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