ボアディケア(読み)ぼあでぃけあ

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ボアディケア」の意味・わかりやすい解説

ボアディケア

ブーディッカ」のページをご覧ください。

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世界大百科事典(旧版)内のボアディケアの言及

【ネロ】より

…治政はしだいに破綻を生じ,財政は乱脈となり,通貨の悪鋳によって物価は高騰した。しかし帝国全体の治安はなおおおむね良好で,ブリタニアにおけるイケニ族の女王ボアディケアBoadicea(ブディッカBoudicca)を首領とする反乱(60‐62)は鎮定され,アルメニアをめぐるパルティアとの長年の紛争も,将軍コルブロの適切な処理により,64年ローマの宗主権が承認されるところとなった。 他方ネロはギリシア文化に心酔し,ギリシアの体育・芸術のコンクールをローマに導入し,自ら詩を作って側近の賞讃を求め,64年ナポリで歌手として竪琴を手にして劇場の舞台に立った。…

※「ボアディケア」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」