世界大百科事典(旧版)内のマスラハの言及
【ムハンマド・アブドゥフ】より
…88年許されて帰国,裁判官となるが,これ以後は政治行動を離れて国民教育に専念した。95年以降アズハルの組織と教育内容の改革に努力し,99年立法会議議員に指名されるとともにエジプトの最高ムフティーとなると,マーリク派の立場でマスラハ(社会的利益)とタルフィーク(適用の工夫)を重視しつつ,利子・配当,食物,衣服などに関して弾力的法解釈によるファトワー(意見書)を発した。この間,改革思想を体系的に示すため,弟子の一人ラシード・リダーの協力を得てタフシール(コーラン注釈)の完成を目ざしたが,未完に終わった。…
※「マスラハ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」