マティアス・コルウィヌス(読み)まてぃあすこるうぃぬす

世界大百科事典(旧版)内のマティアス・コルウィヌスの言及

【ドラキュラ】より

…ドラキュラのモデルは15世紀に実在したワラキア公国の領主ブラド・ツェペシュ(ブラド串刺し公)とされ,史実によれば,公は対トルコ戦において2万人のトルコ人並びにブルガリア人を杭に刺して惨殺したという。一方彼の残虐性は,神聖ローマ帝国,トルコ,ハンガリーの列強に囲まれた小国の君主として,彼が不羈独立の気概の持主であったゆえに,敵王たるハンガリーのマティアス・コルウィヌスMattias Corvinusによって流布させられた中傷ともいう。ドラキュラにまつわる吸血鬼伝説は〈封建主義とブルジョア革命以前の諸状態のメタファー〉(P.O.ホチェウィッツ)と解されもするが,皮肉なことに葬り去られたこの反市民社会的ヒーローは,市民社会のなかに繰り返しよみがえり,H.ディーン演出による舞台《ドラキュラ》(1925)をはじめ,F.W.ムルナウ監督の《ノスフェラトゥ》(1922),T.ブラウニング監督の《魔人ドラキュラ》(1931)等の映画作品を生み,ベラ・ルゴシBela Lugosi,クリストファー・リーChristopher Leeのような名ドラキュラ俳優を育てた。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」