世界大百科事典(旧版)内のマリア信仰の言及
【グロッタ】より
…ルネサンス期にこの古代の風習が復活し,グロッタの名で,噴泉を擁した洞窟的な空間にさまざまの神話的彫像を配したものが,庭園の景物として用いられた。他方,湧水のある洞窟は中世キリスト教世界ではマリア信仰と結びついていたため,グロッタには古代的な記憶と同時にマリア信仰も重ね合わされ,複雑な性格を帯びる。さらにグロテスクと呼ぶ装飾絵画の一分野が結びつき,建物内部の浴室のような小房をグロッタに見たてる風潮も現れ,これらを通じてさまざまな象徴的表現手法や,貝殻浮彫のような装飾細部が造り出された。…
【シャルトル大聖堂】より
…クリプタ(地下祭室)には,今なおその井戸が残る。876年カール禿頭王がシャルトル大聖堂に〈聖母マリアの御衣〉を寄進して以来,シャルトルは聖母マリア(ノートル・ダム)信仰の中心地となり,広く西欧全体に知られ,多くの巡礼を集めた。 非対称の双塔が比類なき美を見せる西正面は,1134年の火災ののちに再建された12世紀の部分を残す。…
※「マリア信仰」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」