マードレ・デ・デウス号(読み)まーどれででうすごう

世界大百科事典(旧版)内のマードレ・デ・デウス号の言及

【有馬晴信】より

…関ヶ原の戦に東軍にくみして徳川家康より所領安堵され,またその命により高砂島(台湾)に派兵した。朱印船貿易に参加しマカオで家臣を殺され,1610年報復として長崎沖でポルトガル船マードレ・デ・デウス号を爆沈させた。この行賞に関し家康側近本多正純の与力岡本大八に金品を詐取され,これが露見しかつ長崎奉行長谷川藤広謀殺の企てが発覚して甲斐に流刑され死を賜った。…

【糸割符】より

…この糸割符制度で問題になるのは,白糸の販路が糸割符仲間によって短期間に保証されることは,ポルトガル商人も異存はなかったが,糸価の決定をめぐって価格を抑制されることは好まなかったので,この両者間に紛争が生じがちなことであった。09年のマードレ・デ・デウス号事件もその一つである。しかし幕府は11年強硬な態度で糸割符制度のもとでのポルトガル船との貿易を再開する一方,当時日本からの朱印船貿易を盛んにし,また中国船の来航を優遇し,オランダ船,イギリス船も来航して平戸に商館を設置するなど,ポルトガル船の貿易独占は打破されていった。…

【岡本大八事件】より

…江戸初期,徳川家康の側近本多正純の与力でキリシタンの岡本大八(洗礼名パウロ)が,1610年1月(慶長14年12月)ポルトガル船ノッサ・セニョーラ・ダ・グラサ号(一名,マードレ・デ・デウス号)を爆沈させたキリシタン大名有馬晴信から,その恩賞斡旋にかこつけて多額の金品を詐取した事件。12年大八は下獄し晴信の長崎奉行長谷川左兵衛謀殺の企てを訴えて対決した。…

【長谷川藤広】より

…徳川家康の駿府政権に属する吏僚の一人で幕府の対外政策やキリシタン禁制に関与し,らつ腕を振るった。1609年(慶長14)有馬晴信とともに長崎に入港したポルトガル船マードレ・デ・デウス号を撃沈させたほか,12年に家康がキリシタン禁制を打ち出すと肥前各地の取締りに当たり,14年高山右近や宣教師を澳門(マカオ),マニラに追放した。ついで大坂の陣に従軍。…

※「マードレ・デ・デウス号」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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