ムハンマド・ブン・トゥグルク(読み)むはんまどぶんとぅぐるく

世界大百科事典(旧版)内のムハンマド・ブン・トゥグルクの言及

【ダウラターバード】より

…インド中西部,マハーラーシュトラ州中央部アウランガーバード市西北西約13kmの旧都。いまは小村であるが,比高180mの急峻な孤立岩丘があり,デカン高原上の交通路の結節点を扼する戦略的要衝を占める。12世紀末にデカン高原西部に覇を唱えたヤーダバ朝の首都となり,デーバギリDevagiri,デーオギリDeogiriとよばれた。1327年にはトゥグルク朝のムハンマド・ビン・トゥグルク王が,デカン高原征服の意図のもとにデリーからここに遷都し,〈富の都〉を意味する現名に改名した。…

【デリー・サルタナット】より

…ハルジー朝のアラー・ウッディーン(在位1296‐1316)の時は,短期間ながら君主権も支配領域も最大となり,ムスリムの軍が初めて南インド征服を行い,その後のデカン,南インドに大きな影響を与えた。また,トゥグルク朝のムハンマド・ブン・トゥグルク(在位1325‐51)の時にも,南インドにまで支配が及び,大帝国となった。彼の時代のデリーや,インドの他の情勢については,大旅行家のイブン・バットゥータがその旅行記で詳しく記している。…

【トゥグルク朝】より

…いわゆるデリー・サルタナット第3番目のトルコ系王朝で,ハルジー朝に代わって,ギヤースッディーン・トゥグルクGhiyāth al‐Dīn Tughluq(在位1320‐25)によりデリーを都として建てられた。第2代王ムハンマド・ブン・トゥグルクMuhammad b.Tughluq(在位1325‐51)と次王フィーローズ・シャー・トゥグルク(在位1351‐88)のときが最盛期。ムハンマドのときその領域は最大となり,一時的ながらヒマラヤからコモリン岬までを支配した。…

※「ムハンマド・ブン・トゥグルク」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」