世界大百科事典(旧版)内のモラビア教会の言及
【チェコ】より
…いずれにせよ退役軍人ジシュカに率いられた急進的なタボル派を主力とするフス派軍は各地で神聖ローマ帝国軍を破り,その戦いぶりは伝説化し,19世紀のチェコ民族再生期にドイツ人に対するチェコ人の雄々しい戦いとして復活することになる。またフスの宗教改革はほぼ1世紀後にドイツで行われたルターの改革運動の先駆をなしているばかりか,その教えはカトリックの反宗教改革のもとで弾圧されながらもチェコ兄弟団の中に生きつづけ,今日アメリカ北部を中心に活動しているモラビア教会の基礎をつくっている。 15世紀半ばにはフス教徒の穏健派(ウトラキスト派)に属する大領主のイジーが中小貴族と都市の支持を得て,一時ボヘミア王(1458‐71)となったが,やがてポーランドのヤギェウォ家の王がボヘミア王とハンガリー王とを兼ねる時代が2代(1471‐1526)続くことになる(ヤギェウォ朝)。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」