ラシード家(読み)らしーどけ

世界大百科事典(旧版)内のラシード家の言及

【アラビア半島】より

…その子ファイサル1世Fayṣal I(在位1834‐38,43‐65)は,一時オスマン帝国によってカイロに幽閉されるが,43年に牢獄を脱出して復位し,半島の中・東部にその支配を広げた。1839年にアデンを占領(1937年直轄植民地)したイギリスは,1835年以降ペルシア湾沿岸とアデン東方の群小首長国と条約を結んで保護下に置いていたが,北部ナジュドのハーイルの族長イブン・ラシードを後援し,91年,第2次ワッハーブ王国はイギリスとオスマン帝国の援助を受けたラシード家によって滅ぼされ,サウード家の一族はクウェートへの亡命を余儀なくされた。 年若いアブド・アルアジーズ・ブン・サウードが,ワッハーブ王国(サウード王国)復興のため,わずか40人の従者を引き連れてクウェートをあとにしたのは,1901年のことであった。…

※「ラシード家」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

2022年度から実施されている高校の現行学習指導要領で必修となった科目。実社会や実生活で必要となる国語力の育成を狙いとし、「話す・聞く」「書く」「読む」の3領域で思考力や表現力を育てる。教科書作りの...

現代の国語の用語解説を読む