世界大百科事典(旧版)内のローヤル・アカデミー・オブ・アーツの言及
【アカデミー】より
…これらの理念は,当時の汎ヨーロッパ的な古典主義的芸術観と軌を一にするものであり,その結果18世紀を通じてパリにならって次々と各国に美術アカデミーが設立された。その中ではウィーンのアカデミー(1692),イギリスのローヤル・アカデミー・オブ・アーツ(1768,J.レーノルズ)が重要である。一方,パリの王立絵画・彫刻アカデミーおよび王立建築アカデミー(1671年,コルベールにより設立)は,他の王立諸アカデミーとともに,フランス革命中の1793年にいったん廃止され,その後暫定的諸機関の設立をみたが,1816年にアカデミー・デ・ボザールAcadémie des Beaux‐Artsとして復興した。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」