一座宣旨(読み)いちざのせんじ

世界大百科事典(旧版)内の一座宣旨の言及

【摂関政治】より

…ただ基経の没後40年と,忠平の没後20年の間は摂関の任命がなく,まだ摂関政治は定着するに至らなかった。しかし村上天皇が没し,病弱の冷泉天皇が即位して,忠平の男実頼が関白に任ぜられてからは,天皇幼少の間は摂政を,成人の後は関白を置くのが常態となり,さらに一条天皇の摂政藤原兼家が右大臣辞任後,太政大臣の上席たるべき宣旨,いわゆる〈一座宣旨(いちざのせんじ)〉をたまわるに及んで,摂関の独自至上の地位が確立するに至った。 平安後期の公卿藤原頼長はその日記《台記》に,〈摂政はすなわち天子なり,関白は百官を己にすぶるといえども,なお臣の位にあり〉と書いて,摂政と関白との別を強調しているが,それも形式的,儀礼的な面にとどまり,実際政治のうえでは,摂政も関白も国政主導の実権を掌握していたことに変りはない。…

※「一座宣旨」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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