世界大百科事典(旧版)内の一揆契状の言及
【裁判】より
…幕府と守護・地頭・国人間の管轄は分明でない。鎌倉幕府下では一般住民は地頭を相手として幕府に提訴することもできたし(雑人訴訟(ぞうにんそしよう)),14世紀ごろの国人は一揆契状(いつきけいじよう)を作成し,領主連合を組んで幕府に対抗し,住民支配を貫徹する場合がある。ただし,中世を通じて裁判管轄は訴訟当事者の少なくも一方と訴訟対象物とが裁判主体の進止(しんし)下になくては成立しない。…
【分国法】より
…また分国法を制定した戦国大名に守護職をもつ大名が多いという現象も,この系譜の上に理解される。 このように分国法は,家法,守護領国法にその直接的系譜が求められ,その発展の上に成立したのであるが,分国法の特徴は,これらのたんなる発展だけでなく,14世紀から16世紀にかけて全国各地に成立した在地領主の地域的結合体である国人(こくじん)一揆(国(くに)一揆)が制定した領主間協約である一揆契状を,ひとつの歴史的媒介項として吸収し成立している点にある。すなわち分国法は,在地領主階級による大名への領主権付託に基づく,領主階級の共同意志の集約という性格が基本となっているのであり,通常いわれる分国法の武断的・専制的性格もこの基本的性格に基づくものといえる。…
※「一揆契状」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」