七イマーム派(読み)しちイマームは

世界大百科事典(旧版)内の七イマーム派の言及

【イスマーイール派】より

…シーア派第6代イマーム,ジャーファル・アッサーディクJa‘far al‐Ṣādiq(699ころ‐765)は長子イスマーイールIsmā‘īl(?‐760)を後継イマームに任命したが,飲酒などの悪癖があったため任命を取り消して弟のムーサーMūsā al‐Kāẓim(745ころ‐799)を任命した。長子は父の存命中760年に没したが,任命取消しを認めない一部の者たちは,イスマーイールこそ第7代イマームであり,最後のイマームであると主張し七イマーム派と呼ばれた。他方,イスマーイールの死後,イマームの位は息子ムハンマドに伝えられたと主張する一派が現れ,ムバーラクMubārak派と呼ばれ,この派がイスマーイール派の主流になった。…

※「七イマーム派」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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