《七十真実論》(読み)しちじゅうしんじつろん

世界大百科事典(旧版)内の《七十真実論》の言及

【世親】より

…《婆藪槃豆法師伝》によると,プルシャプラ(現,ペシャーワル市)でバラモンの第2子として生まれ,出家して小乗の説一切有部(有部(うぶ))の僧となった。アヨーディヤーで師のブッダミトラがサーンキヤ派の外道に論破されたため,《七十真実論》をつくってサーンキヤ派の教義を論破しかえし,それによってビクラマーディティヤ王から賞金を得,その金でアヨーディヤーに三つの寺を建てた。彼は有部の根本聖典《大毘婆沙論》を講義し,毎日その日の講義を詩の形で要約した。…

※「《七十真実論》」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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