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万延大判(読み)まんえんおおばん

世界大百科事典(旧版)内の万延大判の言及

【大判】より

…のちに徳乗の子栄乗が江戸で慶長大判を鋳造した。慶長大判についで,元禄8年(1695)には元禄大判がつくられ,その後享保10年(1725)に享保大判,天保9年(1838)に天保大判,万延1年(1860)に万延大判が鋳造された。最後の大判となった万延大判は,安政6年(1859)の開港以後,日本の金銀比価が外国にくらべて,金の価値が極端に低く評価されていたので,金銀比価の調整を目的として鋳造された。…

【万延金】より

…幕末期1860年(万延1)発行の万延大判・同小判・同二分金・同一分金・同二朱金を総称していう。1859年(安政6)の開港以来,外国との金銀比価の違いから外国の商人たちは洋銀を日本に持ち込み,日本の金貨に替えて海外に持ち出す傾向が強くなった。…

※「万延大判」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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