万暦の三大征(読み)ばんれきのさんだいせい

世界大百科事典内の万暦の三大征の言及

【播州の役】より

…中国,明代に起きた少数異民族の反乱で,万暦三大征(ほかにボハイの乱,朝鮮の役)の一つに数えられる。播州は今の貴州省遵義県を中心とする地方で,古の夜郎の地だという。明代には四川所属の土司の一つで,播州宣慰使とよばれた。その長は唐代以来続く楊氏で,元・明両朝から宣慰使に任ぜられ,一種の自治区をなしていた。1589年(万暦17)内紛から時の宣慰使楊応竜反すという内部告発があり,92年いったん捕らえられたが釈放された。…

【万暦帝】より

… しかし,82年の張居正の死後,内閣には彼の政策を継承するだけの強力な指導性をもった大学士がなく,帝も繁雑な外廷の実務から離れて,罹災した宮殿の再建や自己の死後の墳墓(定陵)建設のために法外な資金を投入するなど奢侈にふけり,明朝の政治は弛緩し,財政は傾きはじめた。92年から,西北の寧夏におけるボハイの乱,西南の貴州の土官楊応竜の乱の鎮圧,豊臣秀吉の朝鮮侵略を防ぐ救援軍の派遣など,いわゆる〈万暦の三大征〉が開始されると明朝の財源は枯渇した。にもかかわらず,帝は大局を顧みず,内廷での私生活の費用を捻出することに専心し,全国的規模で,銀鉱山開発という名目にもとづいて銀を徴収したり,当時画期的な発展を示していた商品流通に目をつけ,商品の国内関税を大幅に増徴しようとした。…

【哱拝の乱】より

…中国,明末に寧夏鎮(現,寧夏回族自治区銀川市)で起きた反乱事件。引き続いて起きた豊臣秀吉の朝鮮の役,ミヤオ(苗)族土司楊応竜の反乱とともに万暦の三大征の一つに数えられる。哱拝はモンゴル系の一部族の出身で,嘉靖年間(1522‐66)に逃れて明朝に来降し,その後数回の戦功によって1589年(万暦17)寧夏鎮の副総兵に任ぜられ,子の哱承恩がその職を継いだ。…

【明】より

… 張居正の死後,万暦帝は政務を怠り恣意的な行動が多くなった。16世紀の末には,豊臣秀吉の朝鮮侵入をはじめ,国内では哱拝(ボハイ)や楊応竜の反乱,併せて万暦の三大征とよばれる軍事行動が必要となったが,そのためにいったん再建された財政は,たちまち窮乏し,宮殿の火災もあって宮廷費用の不足を感じた万暦帝は,政府機関を通さず,勝手に宦官を派遣して商税の徴収や鉱山の開発に当たらせた。このこと自体が政府の体制を崩すものであったうえ,地方に出た宦官は地方官を無視して無法な取立てをし,略奪集団と変わらなかったから,民衆の抵抗をよび起こして各地に暴動が発生し,多くの官僚からも反対が表明された。…

※「万暦の三大征」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について | 情報

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