世界大百科事典(旧版)内の《三つのオレンジへの恋》の言及
【ゴッツィ】より
…イタリア,ベネチアの劇作家。没落貴族の出身。20歳でベネチア軍の将校としてダルマティアに駐屯。1744年ベネチアに戻り,知識人のサークルであるグラネレスキ学会の会員となる。折しもゴルドーニが,コメディア・デラルテ風の猥雑な即興演劇を排斥し,ブルジョア喜劇,教訓的意味あいをもった風俗喜劇によるイタリア演劇の改良を提唱し,大当りをとっていた。伝統主義者で,かつ貴族的精神の持主であったゴッツィは,このブルジョア的写実主義に反発し,コメディア・デラルテの擁護にまわり,荒唐無稽なお伽話の筋立てに,コメディア・デラルテの登場人物を配した《三つのオレンジの恋》《緑の奇麗な小鳥》《トゥランドット》などの作品を書いて大成功を収めた。…
【プロコフィエフ】より
…アメリカではむしろピアニストとして認められ,作品に対する評価はままならなかった。シカゴでオペラ《三つのオレンジへの恋》の初演(1921)をなんとか成功させたが,アメリカには見切りをつけて,22年ヨーロッパへ本拠を移した。23年スペイン人の歌手リーナ・ルベラと結婚,2人の息子をもうけた。…
※「《三つのオレンジへの恋》」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」