三上山一揆(読み)みかみやまいっき

世界大百科事典(旧版)内の三上山一揆の言及

【近江国】より

…旧国名。江州。現在の滋賀県にあたる。
【古代】
 東山道に属する大国(《延喜式》)。〈淡海〉〈近淡海(ちかつおうみ)〉とも表記される。滋賀,栗太,甲賀,野洲,蒲生,神崎,愛智,犬上,坂田,浅井,伊香,高島の12郡からなる。《延喜式》のほか738年(天平10)の〈上階官人歴名〉(《正倉院文書》)によって当時も大国であったことが判明する。国衙跡が大津市瀬田神領町の三大寺丘陵で発掘され,国府域は方8町の四周に半町の外縁がめぐっていたと考えられている。…

【検地】より

…検地の結果は農民生活に直接ひびいたので農民の関心も高く,実施に際しては検地役人が賄賂をとって手心を加えるなどの不正が起こったり,検地の結果訴訟が起こされたり,逆に訴訟によって検地が実施されたり,打出しをねらった検地などでは検地反対一揆が起こったりした。1842年(天保13)近江三上山一揆が8名獄死という犠牲をはらいながら検地を中止させたのはその一例である。明治維新により,それまで幕府や諸藩の行った検地は,地租改正業務のなかに引き継がれた。…

※「三上山一揆」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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