世界大百科事典(旧版)内の三井呉服店の言及
【越後屋】より
…店員の別家店も越後屋を称し,店員数相応に数多かった。1872年(明治5)三井家経営から呉服業が一時分離され,のち三井呉服店と改称・再改組を経て,1904年株式会社三越呉服店として独立,百貨店への道を歩んだ。【田中 康雄】。…
【手代】より
…店方役からはじめ,表方役に回り,また店方役に転ずるのがふつうであった。三井呉服店では,奉公人の制は大取締―取締―加判名代―元方名代―勘定名代―平名代―後見人―支配役―支配人―組頭―役頭―上座―手代―子供など複雑な職階制をとっていた。手代の年齢はだいたい17,18歳から27,28歳くらいまでであったが,営業の種類,本人の能力いかんによって手代の期間は異なり,35,36歳から40歳にいたる例もあった。…
※「三井呉服店」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」