三佞人(読み)さんねいじん

世界大百科事典(旧版)内の三佞人の言及

【中野碩翁】より

…しかし41年(天保12)家斉が没し,登城御免となった。家斉に近侍するかたわらお美代の方(家斉の側室)の養父としても権勢があり,三佞人と呼ばれた林肥後守忠英(若年寄),水野美濃守忠篤(御側御用取次),美濃部筑前守茂育(もちなる)(小納戸頭取)らと連携して,家斉政治を側近から動かした。また各方面から多量の賄賂を獲得し,隠居後は向島に瀟洒な下屋敷を構えて気ままな生活を楽しんだ(上屋敷は駿河台)。…

※「三佞人」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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